転居12回の私が「光が丘」は当たりだと思った
この頃、「自分で住む場所を決められる幸せ」について考えます。
父が転勤族だったため子供の頃よく転居をしました。中学入学までの引っ越しは6回。小学校は3つ行きました。転居を通し、土地によって街の雰囲気や生活の利便性がぜんぜん違うことを幼少期に感じ取れたことは、良い経験になったと思います。同じ環境に固執せず、別の場所に身を置けば新しい世界が広がる。大人になり転職する際にも役立つ教えになっています。
社会人になってから、地方での一人暮らし、一家そろっての関東圏への転居も経験しました。関東圏に移ってからも、神奈川、千葉、埼玉と点々。明るい街、暗い街、にぎやかな街、閑静な街、いろいろ住んできました。親の転勤、一家揃っての転居では、自分で住む場所を決める経験は得られなかったと思います。
結婚し「さあどこに住む?」となり、初めて、選ぶ幸せを感じる体験をしました。もちろん配偶者との意見合わせはしましたが。
「さあどこに住む?」の結論から書くと、それは「光が丘」でした。転居経験12回目にして初めての東京都です。
前置きが長くなりましたが、この「光が丘」が住んでよかった街だったので、きょうは「光が丘」を紹介する記事を書きます。ちなみに現在は諸事情で「光が丘」から転居していますが、またいつか住みたい街です。
東京の端だけど都心への移動がラクラク
練馬区の北部、埼玉県との県境に近い場所に「光が丘」はあります。
もう少しズームで見てみましょう。赤い枠で囲われたエリアが「光が丘」の街です。
戦時中には軍の飛行場として使われていた土地で、不動産屋さん曰く「地盤が固い」。 赤枠エリアの中心部に「光が丘」駅があります。
都営大江戸線の始発駅
大江戸線の「光が丘」駅がまだ開通していなかった1990年頃までは便利とは言い難い土地だったようですが、駅ができたことで「光が丘」の利便性は格段に上がりました。
始発駅なので、ほぼ車両座席に座れます。着席できなかった体験はなかったです。
また、大江戸線の全区間が地下走行のため雨風の影響がほどんどなく、他社線との乗り入れがないため事故の影響もほとんどなく、遅延で遅刻した!という経験はしませんでした。
都心へのアクセスも良かったです。練馬駅まで15分、都庁前まで21分、新宿まで24分、代々木まで25分、青山一丁目まで31分、六本木まで33分、大門まで40分、汐留まで42分。少し時間がかかる感じですが電車一本で行けるのでラクです。 池袋までは国際興業バスが出ています。
体調が優れなかった頃、座って乗り換えせず会社の最寄り駅まで行けるのは大変ありがたかったです。
「広い公園」と「大型商業施設」と「団地群」で構成されている
「光が丘」の街を構成するものを雑に言うと、①緑、②店、③団地です。
「光が丘」から出ずとも問題なく生活できてしまう感じがあります。
①緑、②店、③団地をそれぞれ、もう少し詳しく紹介します。
①緑:広い公園にはたくさんの花木や遊び場
最初の地図からも分かりますが、「光が丘」には、大きな公園があります。都立の「光が丘公園」です。都内でも有数の広さで、東京ドーム13個ぶんもあります。
ガーデンや遊歩道があり、春夏秋冬、さまざまな自然風景を見せてくれます。私はとくに春の花盛り、秋の銀杏並木が大好きです。
公園内には、花火ができる場所や、バードウォッチングができる場所、バーベキューができる場所など、遊び場もあります。
シャボン玉も久しぶりにしました。
またメイン広場ではイベントも多数開催されるのですが、地酒のお祭りがお気に入りでした。
公園の敷地内には図書館、体育館、テニスコート、野球場なども存在。私も図書館やプールをよく活用しました。
いたるところで、楽器の練習をしている人や、将棋を指している年配者、水遊びをする幼児、スケボーを楽しむ若者、ジョギングに勤しむ老若男女が。住人たちの憩いの場となっています。
ゴミ箱やトイレなど、掃除の方が頻繁に管理してくれるため、綺麗で気持ちよく使えるところも好きです。
②店:隣接する3つの大型ショッピングセンター
公園までまっすぐ伸びる歩行者道路に面して、5フロアあるイオン館、6フロアあるLIVIN館、7フロアあるIMA館がくっついて建っています。
スーパーは、イオン館のイオン、LIVIN館の西友があり、IMA館には八百屋や魚屋や肉屋やパン屋やお惣菜屋などもあります。
とても広いので、店内のあちこちにベンチがあり、よく年配者が座って休憩しているのを見かけました。
食品の他にも、生活用品、洋服、化粧品カウンター、CDショップ、無印、ユニクロ、GU、カルディ、なんでもござれです。マクドナルドやケンタッキー、ミスド、サーティワン、ドトール、サブウェイ、サンマルクカフェ、サイゼリヤ、そうしたチェーン店も充実。食事ができるお店もたくさんあります。
私はケンタッキーでチキンを買って、歩行者道路にあるベンチでよく食べました。気持ちがいいんですよ!
当選ブログらしいことを書くと、ショッピングセンターのフェアで、産地直送ズワイガニ(25,000円相当)が当たりました。
以降、なにかしら当たることが増え、あまりに当たるので記録としてこのブログを始めました。
あと、IMAは最近工事して綺麗になりました。トイレも綺麗で嬉しいです。大人用と子供用の便器がおなじ空間にあるトイレもありました(写真は大人用に座り子供用を撮ったもの)。
これも書いておきたいのですが、IMAは地下道で「光が丘」駅とつながっていて、雨の日も濡れずに3館に行けます。
いまいちなところ
いいところばかり書いていますが、不便を感じたところもありました。ヘアサロンです。よく見るといろんなところにあるのですが、地域密着型〜という雰囲気のお店が多く、オシャレ感を求めたかった私には少し物足りなさがありました。
もう開き直って1,000円カットによく行っていました。
銀行、郵便局、病院へも徒歩圏内
上記の商業施設に加え、銀行や郵便局、病院、区民センターなどもそろっています。
郵便局はメルカリでよくお世話になりました。区民センターは住民登録はじめいろいろできるので、「光が丘」のある練馬区の区役所に行ったのは、入籍のときくらいでした。病院は、光が丘公園入口そばに光が丘病院があり、あらゆる科が設けられています。
子育てしている方への情報としては、「光が丘」には、区立の小学校は6つ、中学校は5つあります。また立ち並ぶ団地には、1階フロアに保育園があるところが多く見られ、散歩の時間になると緑あふれる遊歩道で幼児が歩いているのをよく見かけました。子供にとっても都内に住みつつ自然に触れながら育つことができるので、羨ましいなと思います。
③団地:都内最大のパークタウン
団地群、団地群と書いてきましたが、「光が丘」は都内最大の住宅団地です。「光が丘パークタウン」とも呼ばれます。UR(都市再生機構)とJKK東京(東京都住宅供給公社)の分譲・賃貸住宅で構成されています。
とくに魅力的だったのは、蛇口をひねればお湯が出たことです。光が丘公園そばにごみ処理場があるのですが、そこの廃熱を生かして地域熱供給が導入されているのです。
洗濯機でお湯を使いたいとき、とくにありがたかったです。給湯パネルのボタンを押さずともお湯が出る生活は、地味に便利で、光が丘から転出してからのいちばんの「光が丘はよかったなあ」かもしれません。
そういえば、これもごみ処理場の地域熱供給の一部だと思うのですが、各部屋に、備え付けの暖房器具もありました。うちには3つありました。
ちなみに、わが家はURでした。リノベーションされたばかりだった部屋を借りたので、新品ばかりの設備で良い新婚生活のスタートが切れました。間取りも広く、ゆったりと気持ちよく暮らせました。
キッチンも広く設備も当時最新で料理がはかどりました。
さいごに
ここまで長々と光が丘の魅力ポイントを書いてきましたが、こうしたたくさんの魅力を、私は自宅の半径300mくらいの範囲ですべて享受していました。
このベランダからの眺めからも分かるように、歩行者道路を挟んで目の前にショッピングセンターがありました。車が通らないので洗濯物が排気ガスで汚れなくてよかったです。
なんでも狭い範囲でまかなえるので、少し「囲われた街」な雰囲気も感じなくもないですが、ちょうど体調がよくない時期に住んでいたこともあり、近場ですべて済ませられる生活は、たいへんありがたいものでした。休養の土地でもありました。
おかげで今はすっかり体調も戻り、お世話になった「光が丘」には良い印象が残りました。あの環境がなければ、新婚生活もうまく滑り出さなかったかもしれません。それくらい住む場所は大変だと思っています。
いまは「光が丘」から転出し、都内の違う土地に住んでおり、そちらも「光が丘」とは異なる魅力でかなり気に入ってはいるのですが、「光が丘」はいつかまた #住みたい街 として私のなかで光かがやく場所になりました。
これまで通算12回の転居経験はあるもののずっと自分で住む場所を決めてはこなかった私が初めて選んだ「光が丘」。場所の選定には夫との意見のすり合わせがあったことは言うまでもありませんが、後悔のない良い選択だったと思います。
「光が丘」は当たりです!
書籍化記念!
SUUMOタウン特別お題キャンペーン
#住みたい街、住みたかった街
スーモさん的にはエモい記事の応募を求めていたのかもしれず、感情より情報を書いた記事にしてしまったので恐縮です。
なお、記事中の画像はすべて「光が丘」在住中にiPhone6sで撮りだめておいたものを使いました。いつかブログ記事で「光が丘」を書くときに使いたいと思っていたので、今回のお題はいい機会になりました。
この本↓の出版記念キャンペーンとして開催されたようです。